プロフィールストーリー
ちょっとだけ、
わたしのことを
ホルンに出会ったのは中学一年生。
小学生でバリバリに運動をしていた影響から「もう動きたくない」という実に不純な理由で吹奏楽部に入部。
当時習いごとに熱中していたため、部活は不マジメで態度も悪く、完全に問題児でした。1つ上の先輩がよく泣いてたそうです。(あのころはごめんなさい…)
中二の夏、先輩の引退をきっかけに「しっかりしなければ」と突然目覚め、別人のように吹奏楽に打ち込みはじめます。
すると今度はすっかり吹奏楽に夢中に。
とにかく、演奏することが楽しい。ホルンがだいすきになっていました。
はじめての挫折が
転機に
高校でも吹奏楽を続けたくなったわたしは、強豪の市立前橋高校をめざします。
しかし、前期後期ともに落選。
これが人生最初の挫折でした。
市立前橋に入ることしか頭になかった当時のわたしは、私立高校を一つしか受験していませんでした。
失意のどん底の中、選択のよちなく健大高崎高校に入学。
しかしこれが、運命の出会いとなってくれます。
健大吹奏楽部顧問の吉田先生に出会ったことにより、ホルンで音楽の道を進むことをすすめられ、音楽大学への進学を決めます。
そうして、高校卒業後に国立音楽大学へ入学しました。
音楽漬けの毎日を過ごす中で「演奏で食べていきたい」「プロオケに入りたい」という思いを強く抱き、卒業後も音楽を続けていくことを決めます。
2回目の挫折
大学卒業後、フリーランス奏者として活動をはじめます。
年齢も出身大学もさまざな方と演奏する機会を重ねていくうちに、大学で吹いてきたこと、やってきたことへの違和感を感じはじめます。
まわりの人が難なくやっている「合わせる」ということが、どうやら自分はできない。
というのも、今までのように大学内の限られたメンバーで演奏するのとはわけが違います。
まわりが当たり前にやっている「合わせる」ことができないわたしは、対処の方法がわからず、どう演奏したらいいかまったくわからなくなりました。
卒業して数年、ようやく自分の現状を知り、これまでやってきたこと、そして自分に失望しました。
この「合わせる」とはなにかは、別の記事で詳しくおはなししたいと思います。
吹くことが、こわい。
これをきっかけに、2年間ほど楽器を吹くことをやめ、就職を考えはじめます。
どちらを選んでも後悔
楽器を続けるか就職するか悩んでいるとき、ある人に言われた言葉。
「あのね、結局どっち選んでも後悔するよ」
このまるで絶望的な発言に、当時わたしは言葉を失いました。
え、どっちも後悔するの?
ショックを受けつつ悩んでいると、ふと思います。
「どうせ、どっちを選んでも後悔するなら。
わたしはなにで後悔したい?」
こう考えた瞬間、パッと目の前が開ける感覚。
そんなの、答えはひとつしかない。
どうせ後悔するなら、絶対に絶対に、楽器がいい。
絶望の言葉が、わたしにとっては決意のキッカケになりました。
ホルンのいない
オーケストラ部の指導
レッスンの仕事は大学在学中からちょこちょこしていましたが、もっぱら吹くことがすきでした。
卒業後はレッスンの仕事が増えはじめる中、オーケストラ部の全体指導の仕事をいただきます。
初めてのバンド指導、指揮、そして、はじめて数ヶ月でホルンの子もいなくなってしまいます。
当時のわたしはホルンしか教えたことがなく、指揮をふったこともなければ、他の楽器を教えたこともない。
もう1人の講師と力を合わせながら、なんとかレッスンしていました。
このころのレッスンに対する考えは、今とは別物でした。
- 生徒がなぜできないのか
- 真剣に取り組まないのか
- 何度言ってもできないのか
これらが全く理解できなかったのです。
それでつい感情的になったり、威圧的になったり。厳しいレッスンをしていました。
当然部を離れていく生徒もいました。
それでも当時のわたしは、自分に非があるとは思っていなかったのです。
そんな中、2日連続本番の演奏会がありました。
1日目行けなかったわたしが翌日行くと、顧問の先生が真っ青な顔で飛んできました。
「昨日の本番、演奏が崩壊しちゃって〇〇先生がもう指揮できないと。聴いていた人からも演奏がひどいと声があがっていて…」と。
1日目はもう一人の講師が指揮での本番でした。
演奏のあまりのひどさに「今後もうこの部をレッスンも指揮もしません」と帰ってしまったそうなのです。
なにも知らないわたしはそれを聞き、はじめて生徒たちを見渡しました。
不安と失意、悲しみをいっぱいに抱え、ボロボロになった生徒たちの姿を見て、わたしはハッとします。
「この子たちをこんな風にしたのは誰だろう?
こんなに悲しませて、わたしは一体今までなにをしてきたんだろう?
どうしてわたしは、今までわたしのせいだと思わなかったんだろう」と。
あのときの生徒たちの顔は、一生忘れられません。
雷に打たれたような衝撃と、深い反省を覚えています。
この出来ごとを経て、わたしはレッスンに対する考えを根本から改めます。
レッスン改革
まず、話をよく聞くことにしました。
思えばこの子たちがどんなことを考えているのか、全く知らなかったのです。
知りもせずに自分の意見を聞き入れてもらえるわけがない。
時間はかかるかもしれないけれど、1からやり直してみよう。
そんな思いで動きはじめました。
生徒一人ひとりと時間を設け、目を見て話し、どんなことを考えているか教えてもらいました。
するとそれぞれの性格、音楽や楽器への理解度、部活に対するモチベーションなど当然ですが個々によってちがうことを知っていきます。
知れば自然と生徒へかける言葉や態度は変わっていきました。
簡単ではありませんでしたが少しずつ、少しずつ変化は訪れました。
そうして、気づいたときには
演奏する生徒たちの姿は、以前とは別人になっていました。
これは指揮をしてはじめて知ったのですが、指揮者である自分を見つめる生徒の顔つき。
最初はただ「見ている」だけの視線が、信頼関係の構築とともに、なんとも熱いまなざしに変わっていくのです。
言葉では言い表せないさまざまなメッセージを、わたしに送ってくれる。
あの目が、わたしはだいすきなのです。
これを生徒の数だけ、一身に受け取れるのは、なんてごほうびなのだと。
それまで指揮経験のなかったわたしには、とんでもないプレゼントでした。
気づけば、すっかりレッスンがだいすきになっていました。
おわりに
今も思うこと。
レッスンは、わたしにとっても深い学びの場であるということ。
たくさんの気づきを与え、成長させてくれるのは、いつだって生徒の方なのです。
今まで出会ったすべて生徒に、感謝の思いをこめて。
もし今、楽器で悩みがあるのなら。
そこにある人間関係の悩み
自分の性格
これまでの経験からくる悩み
ぜんぶひっくるめて。
あなたに出会えることを心よりたのしみにしております!